【横浜銀蝿】走り出したら止まらないぜ

今夜はお前とべいべぇ

最後の夜になりぃそぉおぉ

さっきまで横浜銀蝿

聞いて明日の段取り

してたぜべいべぇ!

しげおやじです!

 

横浜銀蝿ファンになったのが

東京で仕事していた頃でさ

 

友達の部屋が火事になって

その時に火災保険の人が

部屋を見に来るっていって

一緒に立ち会ってさ

 

火事で燃えたものの

値段を保険屋さんに

報告するのね。

 

で、これはいくら

これはいくらって

火事にした彼が

おおざっぱに

説明するわけ。

 

会社のブレザーの制服を

アルマーニのスーツとか(笑)

 

その時に横浜銀蝿のCDが

消火器の粉まみれで

出てきたのね。

 

そしたら彼が横浜銀蝿の

CDの値段をこれレアだから

10万円って保険屋に言ったのね。

 

そしたらこの保険屋さんが

ニヤリって不敵な笑みで

「レコードだったらねぇ~♪」

ってあんたバレバレだよ感

まんさいで査定はスルー

されちゃったのよ(笑)

 

「ん!だよっ!」

って彼がポイって捨てた

横浜銀蝿のCDを

おいらがゴミ箱から

拾って、俺がもらうわ

っていってもらった

のが横浜銀蝿の

音源との出会いです。

 

それまではテレビで

つっぱりハイスクール

ロックンロールの曲を

なんとなく聞いた程度。

 

ですから、横浜銀蝿の

音源をまともに聞いたのが

ヒットしてた

1980年からだいーぶ

たってからだね。

 

だからなのか、

逆に新鮮でさ

この頃はちょうど

原宿のホコ天や

大黒パーキングエリア

とかでツイスト踊る人達が

いて、えらいいきおいで

かっこよかったわけね。

 

ちょうど「マジック」って

天使のジェラシーとかの

ロカビリーバンドも出てきてさ

リーゼントにボーリングシャツ

みたいなファッションでさ

横浜銀蝿との出会いと

ロカビリーブームが

ぐったいみんぐで

シンクロしてました。

 

そしたらおいらも

東京でうかれぽんち

だったもんで

そっこーで

髪の毛をリーゼントパーマして

原宿のピンクドラゴンで

ポマードとボーリングシャツ

買ってきてロカビリー野郎

になったよ♪

 

そこんとこヨロシクぅ~!

って口を永ちゃんみたいに

への字に曲げて写真に

映るという、まんまと

やんちーなのか

ロカビリーなのか

横浜銀蝿なのか

永ちゃんもどきなのか

もーどっちでも

いいからどちらの

ファンも怒らすなよ

って友達なんかに

心配されるぐらい

混ざりまくって

中途半端な

ニューファッションで

東京の街を

しぇけなべいべぇ

していましたよ(笑)

 

そうそう

横浜銀蝿をどーしても

ギターでコピーしたくて

御茶ノ水の楽器街で

バンドスコアを

めちゃめちゃ

探したんだけど

全くなくってさ

 

そしたら

楽器店のおっちゃんが

横浜銀蝿だったら

簡単なコードだから

教えるよ~って

言われてさ

 

ボールペンで俺の手に

ギターコード書いたのね。

それが

A D E

の3種類のみ(笑)

 

またまたぁ~

おっちゃんジョーダンは

よしおくんだよぉ~

って言ったら

じゃぁ、今ギターで

弾いてみよっか?

 

なんて言ってきてさ

そしたらなんと

A D E

のギターコードだけで

横浜銀蝿のほとんどの曲が

弾けちまったってばぁ~♪

 

さすが横浜銀蝿

簡単な曲で

あれだけ国民を熱狂させて

たってさ すごくね?

もっと好きになっちまったよ♪

 

って話でした。