南インドから生まれた
空手のルーツでもあり
全ての武術のルーツと言われている
カラリパヤットKalaripayattuとは?
というお話。
この、カラリパヤットを知ったのは
フェイスブックで知り合った
偉大な聖者の方から
俺が空手をやっているということで
↓に書いたことを
教えていただきましたので
カラリパヤットについて
書いちゃいますね。
↓メッセンジャーから引用しました↓
禅では剣禅一如と言って
武道と瞑想は一緒だと言います。
唐手を空手と言い換えたのは
仏教の中観派の色即是空の影響です。
しかし、ある種の唐手は
少林寺拳法の影響を強く受けています。
少林寺拳法の開祖は禅の開祖である達磨大師です。
拳禅一如だったのです。
達磨大師は南インド出身で武道の達人でした。
その武道の名をカラリと言います。
私はこれが空手の名のルーツだと思っています。
南インドに行ったことのある
日本人の武術家は皆そう信じています。
南インドでカラリマスターの業を
少しだけ教えて貰ったことがありますが、
関節技、締め技、殴る蹴る、武器の使用、
なんでもありのキリングアーツでした。
以上が偉大な聖者の方からフェイスブックの
メッセンジャーで教えていただきました。
ありがとうございます!
やはりな・・・
武術というのは
共通点がありまして
武の技を磨き続けると
強くなります。
瞬時に人を殺してしまうことも
可能になる。
そうすると
やはり自分のエゴをコントロール
できるように
仏教の「禅※ぜん」
の世界の「新進一如」
という教えにもつながります。
これは「心 と 身体 は 一つである 」
という教えですが
「人の身体というものは
「心」の 映しである」
ということね。
その人の「内」にあるもの(心の状態)が
「身体の表現」として「外」に現れてくる
ってことね。
それで、日本伝統文化の世界に
「心身一如」 に相通じる教訓で
「心技一体」
というのがあります。
「心と技は一つである」
という意味ね。
それで、ついでに
↓「心 技 一 体」意味が↓
心 の 迷い や 隙は、即、技に表れるものであるから
心 の 鍛錬 を怠ってはならない。
もし、心 抜ければ その技、空虚 となる。
したがって、 技 は 心が為の 技 である。
心 の 鍛錬、まず、行 をひたすら 正すべし。
行 とは 各々の 生活 そのもの なり。
生活 とは 心 の 表れであるから、
己 の 生活 見れば、己の – 心技 – 解る道理である。
食 を 正し、規則は ‘天地自然’ に波長を合わせ、
黎明 と共に起床し、 陽 沈めば 早めに 休むことなり。
仁、愛 に至れる 大精神にて 感謝 の心を持ち、
心 安静 にして 謙虚 に 学ぶこと を忘れず
行 正せば、心、気力、自ずと充実し 満ちてくる。
もし、心 の 充実無き 事あれば、行 の乱れ省みて正すことなり。
天地自然 に 波長 合うとき、心 整い 技 充実してくる。
↑心技一体って素晴らしいね♪↑
こうやって、武を極めていくと
謙虚さや、愛と感謝の気持ちや
己の真心に気づいていくのでしょうね♪
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